ワイズメンズクラブは1922年に Paul William Alexander 氏によって米国オハイオ州で誕生して以来、世界各国で数々の奉仕活動を展開してきました。日本では1932年6月に日本区が設立され、60数年の歴史を誇っています。現在、日本では152クラブ約2,700名が、世界では1,500クラブ30,000名の会員が様々な活動を展開しています。
以下にワイズメンズクラブの「簡単な歴史」と「綱領と目的」を紹介します
★ 誕生の瞬間
1920年、米国のトレドYMCAにひとつのランチョンクラブ(昼食を共にする社会人のクラブ)が誕生しました。青少年活動を行っているYMCAを支援しようという目的をもっていました。
★ 米国の動き
この頃、米国各地にビジネスマンを中心にランチョンクラブが次々の生まれていました。現存しているクラブではロータリークラブ、ライオンズクラブ、キワニスクラブなどが代表的なものです。
★ 世界へ広がる
このYMCAをサポートするクラブの活動が米国内に広まり、カナダにもクラブが設けらました。そこで運動の中心人物であった司法官ポール・ウイリアム・アレキサンダーが推進者となって、1922年に「ワイズメンズクラブ国際協会」の名のもとに国際協会を結成しました。その後、世界各地にクラブが結成され、地域における奉仕活動を行うとともに国際間の友情を育ててきました。
★ そして日本にも
日本には、大阪YMCAの主事・奈良伝によって紹介され、1928年に最初のクラブである大阪クラブが設立し、国際協会に加盟しました。その後神戸、横浜、東京など大都市に結成され、「日本区」を組織して相互の交流を深めながら活動を展開しました。
★ 戦争のとき
しかし、時局の変化から1941年、日本は国際協会から脱退することになりました。その後、各クラブは地域おいて活動を継続しましたが、戦時下とあって活動は自然休会の状態となりました。第二次世界大戦は多くのワイズメンズクラブのある国同士が交戦し、また戦場とさせてしまいました。
★ 復興のとき
1945年、敗戦。荒廃する日本の青少年の健全な育成を目指すYMCA運動を支援するワイズメンズクラブを復興させ、あるいは新設しようと、各地で人々が立ち上がりました。 1946年8月、米国ペンシルバニア州ブラッドフォードで行われた国際大会で、中国代表の提案によって「日本区」の国際協会復帰が大きな拍手のうちに承認されました。多くの国際団体の中でこの日本のワイズメンズクラブ国際復帰は早期のものでした。
★ 全国に発展
1950年までには大阪、東京、神戸、名古屋、田辺、京都、高松、大牟田、近江八幡、金沢、広島、西宮、長崎、仙台、大和、米子、姫路、熊本、和歌山、甲府、奈良、鳥取でクラブが活動を始めました。1959年にはアジア地域大会を東京で開催し、日本のワイズメンズクラブの組織力は海外でも認められ始めました。
★ 東日本区の誕生
以後、日本の復興、経済成長の中で日本のワイズメンズクラブの発展しました。国際協会が行う各種プロジェクトに対して経済的な貢献をするとともに、熱海、京都、横浜で国際大会を開催、4人の国際会長を出すなど、人的貢献も評価され、様々な面での期待が強まっています。国内クラブ数も、1997年には140クラブとなり、一層の発展を図るために「東日本区」「西日本区」に再編成し、今日に至っています。
★ 綱領と目的
「ワイズメンズクラブ国際協会は、イエスキリストの教えに基づき、相互理解と 敬愛の思いに結ばれて、あらゆる信仰の人々が宗教信条の相違を越えて、ともに 働く世界的友好団体であり、YMCAに対する忠誠心をともにしつつ、活発な 奉仕活動を通じてリーダーシップを開発し、助長し、提供して、全人類の為より よい世界を築くべく尽力するものである。」
A.個人的にもまた協同のわざとしても、その奉仕活動を通じてYMCAの活動を支援する。
B.その他ワイズメンにふさわしい団体を支援する。
C.地域社会や国際的な問題にかかわり、一党一派に偏しない正義をたえず追求する。
D.宗教・社会・経済・地域・国際などの諸問題について会員を啓発し、これに積極的に参加連帯させる。
E.健全な交友関係をつくり出す。